息子を塾に通わせていて、そこで毎週漢字テストがあります。範囲が25個だったかな、それを覚えて週に1回10問テスト。10点が取れたり、8点のこともあったり、結果はいろいろです。
それで、息子がよくこういうセリフを言います。
「この漢字とこの漢字は学校でまだ習っていないのに塾ではテストに出るんよ…」
私は「え?でも漢字なんて誰かに習わなくても見たら覚えられない?」と言います。
漢字練習帳の巻頭にはこんな素晴らしいものがついています。
これを見たら、別に学校で習わなくても覚えられるんじゃないの。
というか、そもそも「習う」の定義は何?
「小学校の担任の先生が黒板に一度書いて見せる=習う」なの?
いやいや…その気になればそんなこと不要でしょ。
むしろ、練習帳の方がクセのない美しい字体で書いてある。
例えば、新潟の「潟」とか、ちょっと特殊な漢字は先生の助けがいるかもしれないけど、4年生にもなればある程度の部首も習っているはずだし、組み合わせが変わるだけなんじゃないの?「糸へん」の右側が「会」なのか「合」なのかみたいに。
なんとなくこの形はこんな意味みたいなことも感覚的にではあってもわかりつつあるはず。
それに、ポケモンカードの情報は誰からも習っていないのに、めちゃくちゃ覚えているじゃないか。そっちは「まだ習っていないから」って言わないのに、なぜ漢字の時だけ、いや勉強の時だけは「まだ習っていから」と言うのだろう。
この、自ら学ぶかどうか、能動的か受動的かの違いって、結局は「興味」なんですよね。
興味があることは自ら学んでいくのに、興味がないことは目の前に人が立って、いよいよ逃げられない状況になって初めて学びが始まるということなのでしょう。そして、子供たちの学びの大半はまだ受動的です。
だから、息子が「ポケモンカードを1,000枚集める」と言っている間は放っておいてもポケモンカードについての情報は自らどんどん集めるはずです。
もし彼に「小4の間に漢字を1,000個覚えて、漢字王にオレはなる!」と言わせることができたなら、その時点で勝負はついているのだと思います。絶対にないけど(笑)
…とまあ、今日はモチベーションの話でございました。
この話にはもうちょっと続きがありますが、長くなったのでそれは次回にということで。
皆さま、よい秋の一日をお過ごしくださいませ。
0コメント